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  5. 西 洋 法 史Ⅰ/西 洋 法 史 ― 林 信夫

西 洋 法 史Ⅰ/西 洋 法 史 ― 林 信夫

〔出題意図〕

 シラバスの「到達目標」に記したように、法・政治制度の生成・展開のメカニズムを把握することを第一次目的としていることに合わせ、第一問は、前5世紀頃の問答契約等の契約法から紀元前後頃以降の無名契約に至までの契約法の展開とその背景、相互関係を理解し、分析し、その上で、それを日本語で適切に表現しているかどうかを確かめるものである。

 第二問についても、具体例が異なるだけで、意図は同じである。1は、訴訟手続がいかなる背景の下で変遷したのか、2は、ローマ「国家」成立をどのような要件の下で認めるのか、伝説との関係をどうするのか、3は、地中海全域を支配下に収めるのに応じて政治制度、統治制度がどのように変化せざるを得なかったか、を理解し、当該理解を適切に表現できているかを確かめるものである。

 

〔講評〕

はじめに ― 

シラバスにあるように、定期的に授業理解度アンケートを今年度は6回実施したが、それを全く提出していない者(=おそらくは欠席した者)と、出席し提出していた者との理解度に格段の差が出た。

 

Iについて ― 

 問題史料が無名契約に関する法文であることに気づくことが、第一歩である。次いで、時間的順番に従って、紀元前5世紀頃の問答契約等の契約法に始まり紀元前後以降の個別に法的に承認され始める無名契約に至る契約法の展開を背景とともに叙述することが肝要である。キータームは、紀元前5世紀頃の問答契約等の要式契約とその存立基盤の都市国家、信仰心の同一・類似性、紀元前3世紀中頃以降の諾成契約とその存立基盤の大領土多民族国家、地中海商業、紀元前後の引受約束等の法務官法上の無方式合意の契約化、そしてその後に登場する無名契約と、その背後にある有名契約の限定性からの脱却、である。

 

II-1 ― 訴訟手続の進展がテーマであるので、法律訴訟、方式書訴訟、特別審理手続(職権審理手続)の制度的特徴と背景との関わりに言及することが肝要である。解答例一例として、都市国家を前提とした法律訴訟はローマ市民のみを対象とし、したがってその基盤には同一・類似の信仰心があるが、ポエニー戦争後、多民族国家となるや、市民権を有しない者(=外国人)も制度内に包摂する方式書訴訟に変化せざるを得ないものの、これら二つには法廷手続・審判人手続の二段階制、及びそれゆえに、特に方式書訴訟下での刑事問題では不都合さの露呈という共通点があった。また、これらに関わる者が法専門家であることが制度的に保証されていないため、法律家が問い合わせに回答する慣行、制度が存在していた。単独支配体制を確立したアウグストゥスは、二段階制を止め、かつ裁判担当者を官僚とする新たな特別審理手続を設置し、これらの問題解決に対応した。たとえば、方式書訴訟下では受け付けてもらえなかった信託遺贈や医師や弁護人の報酬支払請求が裁判の対象とされ、法的保護の対象とされるに至った。紀元後2世紀以降には、方式書訴訟が妥当していたと考えられるイタリア半島においてさえ特別審理手続に固有の特徴をもつ訴訟制度が普及していき、法律上は存在していることになっているものの、実際上3世紀以降にはローマ国家の訴訟制度は、特別審理手続、つまり「特別」ではなくなり、職権審理手続と称されるべき事態となる。

 

II-2 ― リーウィウス等に伝わる建国伝承によれば、ローマ国家は紀元前753年に建国されたといわれるが、紀元前8世紀段階のローマ社会の構造、政治制度をみると「国家」に相応しいものとはいえないのではないかともいわれる。たとえば、ローマ社会の構成員の区分けとして血の繋がりに重点を置いたクーリアやトリブスが採用され、政治制度としてもクーリア民会が存在している。これに対し、前7~6世紀にかけて王であったセルウィウスが、ローマ市域を居住地域ごとに4つのトリブスに分けたこと、構成員の区分けや軍務負担のための戸口財産調査censusを始め、構成員をクラッシースclassisとインフラ・クラッシースinfra classemに分けたこと、これに基づきケントゥリア民会を創始したと、伝えられている。歴史時代に存在したものがすべてセルウィウス王に始まるとは考えられていないものの、血による区分けから居住地区による区分けへ、血から財産を基準とする制度化、市域外領土の拡大に伴う農村トリブスの設置と人的多様化などが、この時期の特徴として明確になり、制度的、構造的に「国家」が成立したといっても良い。このプロセスの中で、紀元前509年の新体制の成立を迎える。

 

II-3 ― ポエニー戦争の勝利により、ローマ国家は、海外領土を獲得し、それを属州として統治を開始し、大領土多民族国家への道を歩んでいく。他方、このことが既存の制度の変容を迫ることになる。たとえば、領土が地中海全域に広がり、各地に市民権者が住むようになるが、市民権者全員からなる民会は、首都ローマでしか開催されず、現在のイングランドやシリア在住の市民権者が自費で常に参加することは非現実的であり、その結果、民会に現実に参加する市民は市域在住か、ローマ市周辺の市民のみということになり、民会のあり方に変質を迫っていくことになる。また海外領土の統治は、統治者たる政務官の原則たる「自分の目でみながら自分の手で」を実行すると、領土が拡大するのに応じて中央から派遣される執政官または法務官の多くなるものの、それら政務官の数には制限があり、政務官に係る原則を放棄せずに現実に合わせるために派遣政務官=属州総督を政務官としての任期1年が終了しても総督の地位だけを残して、たとえばコーンスル格pro consuleとして当該属州統治を任せ続けざるを得ない状況となった。さらに、ポエニー戦争後、農民たる兵士たちが故郷に戻ってきても、イタリア本土の農地がハンニバル軍との戦いによって荒廃していて農地を売却したり放棄したりして自らは大都市に移住して市民としての権利行使する、いわゆる無産市民化し、これら元農民層が大都市における不安定要因となり、これが民会の変質や、大領土統治のあり方をめぐる上流層の主導権争いの性格を持つ内乱の1世紀とも関連して、進展していく。