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法律学科
それでも〈平和〉をあきらめない―国際人道法
教授 新井 京 ARAI Kyo, Professor
専門分野 |
国際法
International Humanitarian Law, International Law |
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研究室 | 光塩館301 |
業績リスト List of Research Achievements |
私の研究
国際法のなかでも国際人道法を研究しています。国際人道法は、武力紛争時における戦闘方法や兵器の規制、文民や捕虜などの保護を通じて武力紛争の影響を最小限に抑え ることを目指すものです。ロシア・ウクライナ戦争をきっかけに、戦争・武力紛争に関わる国際法の存在意義があらためて問われるようになりました。
国際法は、侵略国を食い止めることができず、さらに戦場での残虐行為も後を絶ちません。戦争を法的に規制することは非現実的ではないかと思われるのも無理はありません。しかし、現行国際法上禁止されているはずの戦争が繰り返され、さらに戦時の残虐行為も無くならないのであればこそ、戦争そのものを防止すると同時に、そのような戦時のルールを発展させることが大事なのではないでしょうか。
それではそのような武力紛争時のルールは守られるのでしょうか。ウクライナやパレスチナでの状況をみると懐疑的になります。しかし国際人道法(そもそも国際法そのもの)が「天国を約束するのではなく、地獄を避けるために存在する」ものだと考えると、逸脱が多いからといって否定するべきではありません。逸脱が多いから必要なのです。
その上で、理想通りには遵守されないとしても、よりよい状況を目指すためには2 つのアプローチが考えられます。1つは、過度に理想的にならず、「戦時でも守ってもらえる」現実的なルールを作ること。国際人道法の歴史は、このような理想と現実とのせめぎ合いであり、そのような中から、一歩ずつルールを発展させてきたのです。そのような遅々とした、しかし確実に進んできた法の発展過程を考えることは国際法学の醍醐味です。もう1 つは、戦争が終われば戦争犯罪の責任は問われないという風潮を変えて、「アカウンタビリティの文化」を育てること。これまで国家の壁に阻まれていた戦争犯罪の訴追も、少しずつですが変わりつつあります。ロシア・ウクライナ戦争の帰結がどのようなものであっても、侵略戦争や戦争犯罪の責任が問われるべきだという国際社会の姿勢は変わらないと思います。
「平和をあきらめた」とか「戦争を肯定している」とか思われがちですが、私は国際人道法を「それでも〈平和〉をあきらめない人類愛」の象徴だと考えています。侵略戦争や戦争犯罪という人類の愚かさを前提にして、いかに「最悪」を避けるかを追求するのが国際人道法だからです。敬愛する最上敏樹先生の言葉を私と同じく平和をあきらめたくない皆さんに送ります。今こそ若い人にかみしめてほしい言葉です。
「平和について考え続けるときに、すべての理想をいますぐに実現せよと求められているのだとは考えないで下さい。歴史を見ても、少しずつ成果を積み重ねていくほかないのが現実なのです。私たち年長の者ができなかったことを、すべて皆さんの責任にして残していったりはできません。せめて、前の世代から受け継いだ世界より悪い世界を皆さんに残さぬようにはしたい。だから、もし私たちにそれができたなら、どうかそれを少しでもよくなるようにしていただきたい、と願うのです。」(最上敏樹『いま平和とは』岩波新書)
講義・演習・小クラスについて
2年次演習は、具体的な紛争や国際社会の諸課題を取り上げ、国際法との関わりを学びながら、国際問題に対する法的センスを高め、国際法の基本的知識の習得を目指します。3年次以降は国際司法裁判所の判例を中心に国際法の理解を深めます。4年次の最後に各自論文を執筆してもらい、それを論文集として発表します。これは下級生や OGOB の皆さんに配布しており、新井ゼミの財産です。3年次には早稲田大学等との合同ゼミにも参加します。プロフィール
同志社高校、同志社大学法学部卒業。趣味は音楽と読書です。学生時代は同志社交響楽団などでヴァイオリンを演奏していました。現在も某アマオケに所属しています。海外(特に東南アジア方面)では、馴染みすぎて現地の人と間違われ、しょっちゅう現地語で道を聞かれます。