同志社大学 法学部・法学研究科

法律学科

「誰一人取り残さない民事訴訟法」を求めて
-インクルーシブな「司法へのユビキタス・アクセス」のために

教授 川嶋 四郎

教授 川嶋 四郎
専門分野民事訴訟法
研究室光塩館501
 業績リスト

私の研究:学生の皆さんへ

 私は、これまで民事訴訟法を中心として、民事執行・保全法、倒産法、ADR(裁判外紛争解決手続)、裁判所法等をも包含する「民事救済法」という法領域を構想しつつ研究し、その成果をもとに教育に携わってきました。それは、近時流行りの「イクスクルーシブな民事訴訟法学」に抗して、「インクルーシブな民事訴訟法学」を創造するささやかな試みです。インクルーシブとは、災害社会学の先生から学んだ「誰一人取り残さない」ことを意味しています。つまり、「正義の声」を挙げ法的な救済を求めて紛争解決過程を利用する人々や企業、団体等が、誰一人取り残されることなく、手続過程における十分な対論を通じて、どのように公正な「法的救済」を得ることができるかを探求する果てしなき営みなのです。
 昨年は、様々なことを考えさせられる一年でした。伝教大師最澄とともに優しい肖像画を残す圓光大師法然の厳しい言葉を、法事で何度も聴きました。「唐土我朝にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず」や、「たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずして…」等、心に突き刺さる言葉です(『一枚起請文』より)。コンテクストは全く異なりますが、「法」というものを学ぶ意義が問われているようにも思います。74歳の高齢であったにもかかわらず、上人は、讃岐の国への流刑を「朝恩」と言い、その道行き、身分にかかわらず多くの人々に教えを伝えました。インクルーシブな行いの先師だったと思います。
 ところで、アメリカにもロシアにも表現の自由の保障はあるもののその違いは表現後の自由の保障の有無にあるということは、よく聴きます。昨年の秋、そのようなことを「よその国の話」と捉えがちな日本人が直面した最大の問題は、日本学術会議会員任命拒否事件です。人文・社会科学系会員候補者のみが6 名も、内閣総理大臣に任命を拒否された出来事です。私は、民事訴訟法を「憲法価値の実現プロセス」と考えていますが、これは、日本国憲法に基づく日本社会の未来を破壊しかねない出来事だと思いました。「民主的社会においては、自分がより特権的な立場にいるからではなく、自分が他の人間と平等であるからこそ、果さなければならない義務がある」と論じ、「今日求められるのは、人々の平等を前提にしたモラルで」あり、「自分と立場や理想を異にする人々もまた、自分と同じ人間であることに対する共感の能力」で、「そのような他者から学び、自己修正の契機とすること」、「平等社会のモラルに基づ」き、「相互的なリスペクトを可能にする社会という空間を構築し、支えていくことが一人ひとりの個人に求められている」と指摘する学者が、任命を拒否されたのです(引用は、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』より)。「学術会議問題」などと呼ばれたりしますが、問題は日本学術会議にあるのではなく、違法な任命拒否をした任命権者にあることは言うまでもありません。量子化学者藤永茂が『アメリカ・インディアン悲史』で、「インディアン問題はインディアンたちの問題ではない。我々の問題である。」と喝破した事実と重なります。政府からは「ともに未来志向で」などと耳障りのよい言葉が繰り出されていますが、過去を踏まえない未来志向など欺瞞です。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた広島原爆死没者慰霊碑の文言が、それを端的に物語っています。訴訟上の和解でも、「和解は未来を創る」などと喧伝されていますが、良き未来を創ることができる和解は、過去を踏まえた良き和解だけであり、しかも、判決でさえ良き未来を創ることはできるのです。福岡県労働委員会において、裁判所で和解が成立した案件と取り組む過程で、私はそのことを痛感しました。私が属している学会でも、いち早く的確な抗議声明を出してくれたところもあれば、沈黙を続けている学会もあります(役員選挙もなく、政府委員がトップを占める…ガッカリです)。「物言えば唇寒し秋の風」が、学問や大学の世界に吹いています(官僚の世界にも、です)。これは、思想上のいわゆる「左」や「右」の議論ではなく、日本と学問の将来に関する私たちのお話しです。特に、学問に対する畏敬の念の問題でもあります。日本は、1300年以上前に百済から亡命した学者鬼室集斯の墓を、滋賀の蒲生野にある小さな村でひっそりと大切に守り続ける、そのような人々の国家だったはずなのです。小川洋子『博士の愛した数式』で博士に語らせるように「一番いい場所を独り占めしないよう、皆で譲り合」い、藤野恵美『淀川八景』が剔抉するように「権力者って、気持ちええもんやな・・・」感を完全に払拭し、G.オーウェル『1984年』が描く「完全監視ディストピア社会」化を回避するために、私たちが考えなければならないことはたくさんあるのです。
 ともかく、コロナ禍の現在、私たちには「誠実さ」が求められていると考えます。それは、感謝の念を忘れることなく、今私たちにできることを淡々と行うことでしょう(A.カミューは、『ペスト』で主人公リウーに「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と語らせています)。ペスト禍のため故郷ウールスソープへ逃れたI.ニュートンの「創造的な休暇」には全く及ばないとしても、このような困難な時代に、コロナ後の世界を見据えて、学生の皆さんと共に自由なゼミナールを行い、安心かつ安全な講義ができればと願っています。
 なお、多少とも私の「救済法」や「民事訴訟法」の研究に関心をもつ人は、『民事訴訟過程の創造的展開』、『民事救済過程の展望的指針』、『民事訴訟の簡易救済法理』、『民事訴訟法概説〔第3版〕』(以上、弘文堂)、『差止救済の近未来展望』、『民事訴訟法』(以上、日本評論社)、『公共訴訟の救済法理』(有斐閣)等を、また、法律実務家の養成に関しては、『アメリカ・ロースクール教育論考』(弘文堂)を、さらに、日本の歴史の中での裁判のありようについては、『日本人と裁判』(法律文化社)等を、図書館で手に取ってみてください。

講義・演習・小クラス

 2021年度は、学部では、「民事手続法概論」、「ADR仲裁法」、「民事訴訟法演習(2,3,4年)」、「特殊講義(アメリカ民事手続法Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(裁判と文学Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(国際商事仲裁Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(民事訴訟法)」を、大学院では、各種の民事訴訟法演習、英文文献研究、法科大学院では、「民事訴訟法演習」や「ADR法」の授業等を担当します。学生の皆さんには、今後も、緊張感をもち、一期一会的な語らいの中で民事救済手続過程と向き合い、公正なプロセスのあり方を探究してもらいたいと願います。特にゼミでは、自由な雰囲気のもと、友人や家族を大切にできる多様な人材が集まることで、心豊かで刺激的な学びの場ができることを期待しています。

プロフィール

 滋賀県生まれ。膳所高校、早稲田大学、一橋大学大学院で学び、九州大学大学院教授等を経て、現職。日本学術会議会員。これまで、市民の視点から、「人に対する温かい眼差しをもち社会正義を実現できる法律実務家や良き市民」等の育成に努めてきました。困難な時代だからこそ、学生・院生の皆さんとともに、政治やイデオロギーを超え、「自由で公正なプロセス」を探求し、「人を大切にする制度」のあり方を共に考えていきたいと思います。