同志社大学 法学部・法学研究科

法律学科

現代市民社会における「民事訴訟法の精神」の源流を求めて
-タイムトラベラー・新島襄の志の現代性

教授 川嶋 四郎

教授 川嶋 四郎
専門分野民事訴訟法
研究室光塩館501
 業績リスト

私の研究:学生の皆さんへ

 私は、これまで民事訴訟法を中心として、民事執行・保全法、倒産法、ADR(裁判外紛争解決手続)、裁判所法等をも包含する「民事救済法」という法領域を構想しつつ研究し、その成果をもとに教育に携わってきました。それは、「インクルーシブな民事訴訟法学」を創造するささやかな試みです。「誰一人取り残さない民事訴訟」を目指しています。つまり、「正義の声」を挙げ法的な救済を求めて紛争解決過程を利用する人々や企業、団体等が、誰一人取り残されることなく、手続過程における十分な対論を通じて、どのように公正な「法的救済」を得ることができるかを探求する果てしなき営みなのです。
 昨年1年は、思いがけないことがたくさんあり、計画していた研究が十分にできませんでした。たとえば、既に論じるべきことは論じ実証研究まで行ったことから、「民事裁判のICT化」についての研究は10年程前に一段落したのですが、昨年2月下旬に法務省から公表された『民事訴訟法(IT化関係)に関する中間試案』の内容には疑問点が多かったことから、様々な方面から意見を求められ、その対応に追われました。ただしその間に、『民事裁判ICT化論の歴史的展開』(日本評論社)をまとめることができたのは幸運でした。その研究の核心は、中間試案が考慮していない民事裁判のICT化による「ユビキタス・アクセス権」(誰でもいつでもどこからでも民事紛争解決手続過程にアクセスできる権利)の保障とその具体化・実質化にあります。
 近時、SDGsが様々な機会にクローズアップされていますが、意外に知られていないのが、第16番目のPeace, Justice and Strong Institutionsです。直訳すれば「平和、正義と強い制度」なのですが、興味深いことに、「平和と公正をすべての人に」と和訳されています。名訳です。「平和」は普遍的なのですが、「正義」は独善に走る可能性があるからです。公正は、正義の内実を象徴しています。人に着目している点も見逃すことができません。「ユビキタス・アクセス権」をも内包する考え方です。この世の中には不公正が蔓延しアクセス不全も見られ、また、露骨な不公正だけではなく、(権力者につきものですが)公然あるいは陰湿な不公正等も見られます。しかし、民事訴訟過程では、そのようなことは金輪際許されません。磨くべきは公正への感性なのです。昨年は、公正を希求した聖徳太子の1400年忌、平等を志向した伝教大師最澄の1200年忌でした。日本でも古くからの課題なのです。「強い制度(組織)」とその構成員も、平和と公正を実現できなければなりません。大学と教職員ももちろんです。強い裁判制度には、「ユビキタス・アクセス権」の保障が不可欠なのです。
 さて、ある書物を読み、北アメリカのニューイングランドで学んだ校祖新島先生が、明治初期に既に戦後日本の民主的市民社会を先験的に体現していたことに気付きました。その精神が死して尚生きているとも言うべき先生は、大日本帝国憲法発布の時代に、日本国憲法の淵源となったアメリカ民主主義社会の市民精神だけではなく、成熟した自治的な市民社会の市民感覚を基礎に、私たちの同志社を創設したのです。アメリカ建国当初、国立大学の創設のための法案が何度も連邦議会に上程されましたが、国家予算でエリート養成教育を国が行うことは民主主義政府のあり方に反するとして否決されました。健全な感性の発露だと思います。その後の両国の歴史的展開を予言するような決議です。新島先生は、明治政府に取り込まれることなく、人一人を大切にし、もし私がもう一度教えることがあればクラスの中で最もできない学生に特に注意を払いたいと記しました。『捷径医筌』(今風に言えば、『医学入門』)を著し大野了佐に医学教育を行った近江聖人・中江藤樹を想起させます。
 ともかく、150年近く前の日本で、稀有な市民目線から、(実質的に)民主的な市民社会を築き立憲政体を担うことができる人材の育成がここ同志社で企図されたことは、奇跡に近いと思います。現代市民社会と精神の源流です。これは、民事訴訟法学の世界でも示唆的です。排除と格差が蔓延る陰湿な現代社会で、私はそれでも、公正な手続形成を志向して、法的救済のセーフティネットの形成に努めたいと考えています。「たとえ明日世界が滅びるとも今日も私は林檎の木を植える」という、M・ルターが言ったとされる言葉は、心の支えになるのです。新島先生も、「人を植える」がごとき大学設立は「実に一国百年の大計」と論じていたのです。その百年後こそ、民主憲法下の現代日本社会なのです。先生はある意味タイムトラベラー的な存在と思います。そのような先見の明ある校祖の志を、環境は厳しいのですが、私なりに涵養して行きたいと考えています。
 なお、多少とも私の「救済法」や「民事訴訟法」の研究に関心をもつ人は、『民事訴訟過程の創造的展開』、『民事救済過程の展望的指針』、『民事訴訟の簡易救済法理』、『民事訴訟法概説〔第3版〕』(以上、弘文堂)、『差止救済の近未来展望』、『民事訴訟法』、『判例民事訴訟法入門』(以上、日本評論社)、『公共訴訟の救済法理』(有斐閣)等を、また、法曹の養成に関しては、『アメリカ・ロースクール教育論考』(弘文堂)を、さらに、日本の歴史の中での裁判のありようについては、『日本人と裁判』(法律文化社)等を、図書館で手に取ってみてください。

講義・演習・小クラス

 2022年度は、学部では、「民事手続法概論」、「ADR仲裁法」、「民事訴訟法演習(2,3,4年)」、「特殊講義(アメリカ民事手続法Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(裁判と文学Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(国際商事仲裁Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(民事訴訟法)」を、大学院法学研究科では、各種の「民事訴訟法演習」、「担保権実行法」、「英文文献研究」、「論文指導」等を、法科大学院では、「民事訴訟法演習」や「ADR法」の授業等を担当します。学生の皆さんには、今後も、一期一会的な語らいの中で民事救済手続過程と向き合い、公正なプロセスのあり方を探究してもらいたいと願います。特にゼミでは、自由な雰囲気のもと、友人や家族を大切にできる多様な人材が集まることで、心豊かな学びの場ができることを期待しています。

プロフィール

 滋賀県生まれ。膳所高校、早稲田大学、一橋大学大学院で学び、九州大学大学院教授等を経て、現職。日本学術会議会員。これまで、市民の視点から、「人に対する温かい眼差しをもち社会正義を実現できる法律実務家や良き市民」等の育成に努めてきました。困難な時代だからこそ、学生・院生の皆さんとともに、政治やイデオロギーを超え、「自由で公正なプロセス」を探求し、「人を大切にする制度」のあり方を共に考えていきたいと思います。