同志社大学 法学部・法学研究科

法律学科

底辺に向かう志の「民事訴訟法学」を求めて―新しい法的な「救いのかたち」とは

教授 川嶋 四郎

教授 川嶋 四郎
専門分野民事訴訟法
研究室光塩館501
 業績リスト

私の現在の研究:学生の皆さんへ

 私は、これまで民事訴訟法を中心として、民事執行・保全法、倒産法、ADR(裁判外紛争解決手続)、裁判所法等をも包含する「民事救済法」という法領域を研究し、その成果をもとに教育に携わってきました。それは、法的な救済を求めて紛争解決過程を利用する人々や企業、団体等が、手続過程における十分な対論を通じて、どのように公正な「法的救済」を創造することができるかを探求する果てしなき営みです。民事手続を通じた救済のあり方を、民事訴訟法学における「祈り」にも似た気持ちで研究しているのです。
 明治維新(戊辰戦争)150年の年が終わりましたが、「万機公論に決すべし」とされながら、その後の「有司専制」の歴史は、残念ながら今でも確かな根っこを日本社会に残しているようです(有司専制とは、民撰議員設立建白書で藩閥政府を批判するために用いられた言葉です。)。平等かつ公正でなければならない学問の世界でも?と疑われるようなことはないと思っていますが。ところで、昨年は、あまり取り上げられませんでしたが、伝教大師最澄の『山家学生式』上呈1200年の節目の年でもありました。一隅を照らすものこそ国の宝とされた大師の志は、叡山での教育方針を明らかにしたものですが、私たちが常に考えなければならない課題でもあります。専制とは対極にあり、人々を大切にする考え方(憲法13条参照)だからです。格差社会といわれて久しく、しかも、私が教え研究している民事紛争解決手続の世界でも、裁判所が、人々にとってどれだけ頼りがいのあるものになっているかについては、まだまだ考えてゆかなければなりません。社会のセイフティネットとして、法的なトラブルに巻き込まれた人々が確実に救われるシステムが提供できているかの問題です。現在、民事訴訟では迅速化の傾向がますます推し進められ、また、民事調停でも事実認定を行い17条決定(調停に代わる決定)も活用することが推奨され、調停の準訴訟化の傾向さえ読み取れます(このような手続を家事調停で用いることも提言されています。)。じっくりと話を聞いて合意を形成するプロセスという意味がやや薄れてきているのではとも思います。三島由紀夫は、1960年の戯曲『弱法師よろぼし)』で当時の家事調停を描いています。初夏の午後、半日をかけ日没まで行われた親権をめぐる事件の調停です。能の『弱法師』の翻案ですが、こちらは、庶民信仰(太子信仰)の場であり社会的に弱い立場にあった人たちの救済の場であった四天王寺が舞台となっています。戯曲では、申立人も相手方もよく話しています(話さなければ戯曲になりませんが)。調停委員は、正義の女神像の権化のような設定ですが、同席調停でコミュニケーションを整序し一定の合意を得るための調停活動を懸命に行っています。このような民事司法の世界では、最近、ようやく「民事裁判のIT化」が議論され始めました。20年近く前に私たち有志が先鞭をつけ、考え、議論し、実証実験を積み重ねてきた重要な課題が具体化され現実化されることに、心から喜びを感じています。私たちは、当事者の視点から考え、それが人々の自由の支援であり、人間性の輝きを増すものであり、人々にとっての福利の増進につながると考えたからです。ただ、IT 化を超えて、ICT化を明示的に目指すべきでしょう。Information Technology だけではなく、Information and Communication Technology のCommunication も重要であると考えるからです。「情報技術」だけではなく、当事者間と当事者裁判所間等の意思疎通がより豊かになることを示す「情報コミュニケーション技術」の民事裁判への導入こそが図られなければならないからです。意思疎通は大切な課題だと思います。昨年は悲しい年でした。石牟礼道子さんが亡くなられたからです。四半世紀以上前、熊本で教えていたとき、読書会の後、車でご自宅までお送りしましたが、別れ際の彼女の笑顔を、ふと思い出しました。『苦海浄土』は、人の魂の根源に関わる書で、「コミュニケーションの書」だとも思います。語ることができない人たちの心の声を聴いて書かれているからです。そこまではともかく、様々な理由でコミュニケーションの自由を制約された人たちのためにも、民事裁判は活用されなければならないと思います。それが、私たちすべての人々が底辺を構成している日本社会の課題だと考えるからです。
 昨年もいろいろな場所で、多くの人たちと民事手続のあり方について語り合う機会をもちました。福井や金沢へも行く機会を得て、ようやく念願の永平寺にもお参りできました。叡山で学んだ道元禅師は、新島先生と同じようなお考えをお持ちだったようです。禅師は詠んでいます。「草庵に 起きても寝ても 祈ること 我より先に 人を渡さん」と。新島先生は、私学の意義を熟知され、その将来を予見されたうえで、私たちの大学を創設されました。その志を、私たちは生かし具体化して行かなければならないでしょう。
 なお、多少とも「救済法」や「民事訴訟法」の研究に関心をもつ人は、私の『民事訴訟過程の創造的展開』、『民事救済過程の展望的指針』、『民事訴訟法概説〔第2版〕』(以上、弘文堂)、『差止救済の近未来展望』、『民事訴訟法』(以上、日本評論社)、『公共訴訟の救済法理』(有斐閣)等を、また、法律実務家の養成に関しては、『アメリカ・ロースクール教育論考』(弘文堂)を、さらに、日本の歴史の中での裁判のありようについては、『日本人と裁判』(法律文化社)等を、図書館で手に取ってみてください。「はしがき」を読んでもらえれば、多少とも私の授業や研究のモチーフが伝わると思います。

講義・演習・小クラスについて

 2019年度は、学部では、「民事手続法概論」、「民事訴訟法」、「ADR・仲裁法」、「民事執行・保全法」、「民事訴訟法演習(2,3,4年)」、「特殊講義(アメリカ民事手続法Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(裁判と文学Ⅰ・Ⅱ)」、「特殊講義(国際商事仲裁)」を、大学院では、各種の民事訴訟法演習、英語文献研究、法科大学院では、民事訴訟法演習やADR 関係の授業等を担当します。学生の皆さんには、今後も、緊張感をもち、一期一会的な語らいの中で民事救済手続過程と向き合い、公正なプロセスのあり方を探究してもらいたいと願います。特にゼミでは、自由な雰囲気のもと、友人や家族を大切にできる多様な人材が集まることで、心豊かで刺激的な学びの場ができることを期待しています。

プロフィール

 滋賀県生まれ。膳所高校、早稲田大学、一橋大学大学院で学び、九州大学大学院教授等を経て、現職。これまで、市民の視点から、「人に対する温かい眼差しをもち社会正義を実現できる法律実務家や良き市民」等の育成に努めてきました。困難な時代だからこそ、学生・院生の皆さんとともに、政治やイデオロギーを超え、「自由で公正なプロセス」を探求し、「人を大切にする制度」のあり方をともに考えたいと思います。